太宰治「色欲至上主義」という直球フレーズに笑った『チャンス』
太宰さんの『チャンス』。あまり有名ではないですが、すごく面白いエッセイ系の作品です。これも随分前に読みました。
「恋愛」という言い方は、太宰さん曰く、なんと当時新しく生み出された言葉なのだそうです。
当時、「恋愛至上主義」という概念が台頭し、その背景は、平塚らいてうの雑誌「青鞜」の出版でも分かる通り、女性の社会進出が影響しています。
「恋愛至上主義」つまり、昔の、親や家同士で決められた結婚というものでなく、本人の意思による恋愛結婚という考えが生まれます。
彼曰く、「恋愛」は言い繕った言い方で、元々ある日本語で言えば、「色欲」🤣
彼は、他のエッセイでも、白樺派系を批判するとき、「あの人達は、愛を知らない。あなた方が知っているのは、愛撫だ」のような事を言っています。最高に太宰節、炸裂🤣
彼は、愛というものは、キリストの愛のようなものであって、とてもとても、普通の人にはできないような、大きな愛情、慈しみを指す。と言っています。
で、恋愛は、愛撫の方面。色欲だ。交合だ。と笑
『チャンス』これは、「恋愛はチャンスでなく、意志だと思う。」という彼の持論から取られた題名です。題名だけ読んで、内容を知らなかった私は、まさか太宰節炸裂のエッセイだとは思わず、終始笑いながら読むことになりました😂
とっても短い作品ですが、文学的ブラックジョークが好きな方は、笑うこと間違いなしの作品です!!
「そんなに何も私を、にらむ事は無いじゃないか。恋愛女史よ。」
でも、最後の庭訓(教訓)の前の一文。そこがいいんです。さっきまでふざけてたのに、急に、本気を一瞬出すんです。ああ…これは…そういう所だよ…太宰…これはモテるの納得だよ…師匠…
と、さっきまで笑っていた私でさえ不意を突かれました。
(太宰さんのエッセイは、大抵男の感覚で読んでいるので、この不意を突かれたというのも、さすが師匠…ダメ人間だけど、頭いいし、面白い。モテるのはこういう所なんですね…!もっと教えてくださいいい!!!みたいな感じです。褒めてます。)
太宰さんのエッセイは、圧倒的に男の感覚で読んだ方が楽しいです。小説は、老若男女、どんな感覚でも楽しめます。
感覚を使い分けると、着眼点や感想が変わって、作品を多角的に読むことができるので、自然とそうやって読んでいました。
何と言いますか、自分の中に沢山人がいる感じです。性自認とかそういう問題でなく。多重人格が手っ取り早い説明でしょうか。でも、記憶とかは共通しているので、「演じ分けてる」だけだと思っています。もしくは「脳の使い方を変えている」のでしょうか。
作品を最大限に楽しむために、自分の感覚を変えて読んでいる方、私以外にもいらっしゃいますか?