モネ『ルーアン大聖堂』は私にとっての、江戸川乱歩『恋と神様』③
江戸川乱歩『恋と神様』は、エッセイです。彼が八歳の時の思い出を、振り返って書き残した作品です。
【要点とあらすじ】(手元に作品がないため、記憶している範囲です。その上、記憶違いもあるかもしれません。すみません。)
同じ小学校で、天女のように美しい子に出会う。その子の美しさは、他の子と同じ様におままごとをしたりして、その子が友達と一緒に同じ遊びをするのが、不自然なくらいだった。
その子の小さくなった鉛筆だったか、何か、盗んで、(もしくは、その子の靴箱に紙だったか、何か入れて、下校前にその子に見つかる前に回収した。)それを、大事に、大事にした。神様のように拝んだりもした。
ある日、乱歩先生が親の都合で、引っ越すことになる。そこで、その家の柱に爪で「私ハアナタヲ愛シテイマス」だったか、とにかく、メッセージを書いた。
それは、彼が越した後、①その子がその家に様子を見にが来るか、もしくは、②その空いた家にその子の一家が越してくるか、①か②どちらかを想像した乱歩先生が、彼女へ宛てたメッセージ。
美しいものに心を寄せる、という事は、幼少期の乱歩先生にとって、神様を拝むような気持ち。それくらい、純粋で一心なもの。ただただ、大事に思うこと。それを、恋、と彼は呼んだ。
さて、ようやく繋がります。(色々長かった😅)
私の神様との対面。その心情。前回記事の①②でも書かなかった、鑑賞中思っていた事は、「ああこれが、『恋と神様』…!」「乱歩先生の言いたい事は、読んだ当時も分かりました。でも、今、私は私の体験を通して理解しました…!あなたが八歳の時に味わった気持ちを…!」「神様、と拝まずにはいられないほどの、自分にとっての絶対的存在…その不可思議な美…」
「その、神様に対してひたむきに祈るような心は、見返りを求めない片恋の純愛のようですよね…あなたの言う『恋』とはそういう感情ですよね…」
「私もそういう感情を分かるのですが、上手く言語化できなかった。でもあなたは説明できる。本当に、なんて素敵な人なんだろう…!!!そんな乱歩先生が大好きです…!!!」
様々な思い、感動、発想が、湧き水のように溢れて止まりませんでした。
神を見た犬の気持ちは未だに掴みきれてないですが、乱歩先生の『恋と神様』で語られた感覚は、心を寄せて触れることができました。
だから、モネ『ルーアン大聖堂 ファサード(日没)』は私にとっての、江戸川乱歩『恋と神様』です。
厳密に言えば、私が八歳の乱歩先生で、『ルーアン大聖堂 ファサード(日没)』が、天女の様な子、としての追体験をした話でした。
【追記】
バラ色の夕日が世界を桃色に染める時間帯、大禍時。その夕日をいっぱいに浴びて、バラ色に輝く『ルーアン大聖堂』は他にもいくつかあると、この記録を書くために調べて知りました。
私の記憶に近いのは、今回の『ファサード(日没)』以外に、
②『ルーアン大聖堂:扉口、昼下り』(個人所蔵)
です。
小学生の時に見た、あの『ルーアン大聖堂』は、マルモッタン所蔵の『ルーアン大聖堂 ファサード(日没)』であったのか…。分かりません。
でも、出会えたあの日の感動は、本物です。