シェークスピア「嫉妬」は緑の目の怪物か、趣深い情緒か
シェークスピア『オセロー』より、「嫉妬は緑色の目をした怪物で、餌食にする人の心をもて遊ぶ」
高校一か二年の時に読んだ、『オセロー』。シェークスピアは本当に心理の推移を表現するのが上手いです。心理描写というより、移り変わりです。その心情変化による行動と、その行動が起こす負の連鎖。それが上手い。
どんどん泥沼にはまって行く登場人物は、明日の我が身…と思える程リアルで、理論的な心情変化です。「そうはならないでしょう…」と興醒めするような部分が、心情変化に於いては、あまりないんですね。
それ故に、私も嫉妬の恐ろしさを知っていた事もあってか、「嫉妬=恐ろしい。醜い」という固定概念ができていました。
しかし、最近日本文学、特に「詩」を読む事が増え、その固定概念が、変わりました。
吉井勇の短歌『嵐よりやや和かく胸を吹く 妬みにまさる趣きはなし』
彼は『ゴンドラの唄』(いのち短し、戀せよ、少女*おとめ)の作者です!
華族出身の耽美派。華やかでゆとりのある生活が生み出す、心の余裕。粋。唄からも分かるように、女性慣れした人で、これはもう、当時のおなごの黄色い歓声が聞こえてきますね。
ああ、「嫉妬」ってこういうニュアンスもあるのか。と、膝を打ちました。甘い。柔らかい。そして軽やか。流石、吉井さん。
私は歓声を上げる側でもなく、こういう唄を詠む側でもなく、この様な唄を広めて、みんながキャーキャー言う姿を見て楽しむ、特殊枠だと思っています。
唄が広まって嬉しいし、みんなが楽しそうで嬉しいのです😊🌷
続いて、大手拓次『藍色の蟇』より『鳥の毛の鞭』
これは、いい…!すごく拓次さんらしい幻想!!私は吉井さんの唄より、こっちの方が好きです。
「嫉妬よ お前は優しい悩みを生む花嫁」…!吉井さんの甘さとは違う甘さ。前者は、現実的な甘さ。少し酸味もあるような。果物とかの甘さでしょうか。ハッキリと甘く、でもさっぱりとして、香り高い。高級な佐藤錦やイチゴ、リンゴみたいな?(高級水菓子を食べた事がないので、空想です😅)
後者は、掴みどころのない、甘さ。でも、甘さ自体は前者の果物より控えめで、ふわふわとしたひとつまみの綿菓子のような、口に含むと、すっと溶けてしまうような感じ。
シェークスピアは嫉妬の恐ろしさを教えてくれました。それは、他人から向けられるものとしての教訓として、これからも気をつけるものです。決して、自分が持ちたいものではありません。
ですが、日本の詩歌人が教えてくれた「嫉妬」。これはなんと、味わい深い情念でしょうか。
「嫉妬」への眼差しが甘いのであって、自分が持つのではないように感じます。あくまでも、その「嫉妬」を愛でる感覚が甘いのであって、「嫉妬」自体は自分の心に芽生える感情ではないのです。
「嫉妬」を事象/出来事として認識して、そこから生まれる感情や情念が甘かったり、「嫉妬」を愛でる感覚が甘いのです。
私は、彼らの言う「嫉妬」を、そう感じました。
私の辞書の中に、シェークスピアのニュアンスでの「普通の」嫉妬が①の意味で登録されているのならば、②に日本の詩歌人らのニュアンスを加え、この②の「嫉妬」は大事に、好きな感覚の一つとして、楽しみたいです💐